吉武邦彦のプロフィール

 出身地/ 宗像市神湊

 生年月日/ 昭和30年9月18日

 身長/ 178cm 体重/ 85kg

 学歴/ 昭和49年 東海大学付属第五高等学校 卒業
       昭和53年 東海大学海洋学部 卒業

 職歴/ 昭和53~58年 ロイヤル㈱勤務
       昭和58年 家業である魚屋(うおや)入社

 現在/ ㈱魚屋 代表取締役・(有)レストラン魚屋 代表取締役・(社)宗像観光協会 代表理事

 家族構成/ 妻、三女

 通称/ くんちゃん   好物/ ごはん   憧れ/ 若き日の「加山雄三」さん

 郷土のため
●まちおこし組織「玄海未来塾」代表●アクシス玄海物産館 企画、立案、運営責任者●宗像・玄海合併推進市民グループ「宗像人の会」発起人●玄海小学校PTA会長
●「沖ノ島大国宝展」実行委員長●世界遺産登録推進組織「沖ノ島物語実行委員会」委員長●宗像大社氏子青年会会長●新観光物産館(道の駅むなかた)建設検討部会 部会長 ほか

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■よしたけ邦彦を良く知る人たちから言葉を寄せていただき、まとめてみました■

 生まれは・・・

昭和30年9月18日、宗像市神湊に生まれる。神湊の浜と海を遊び場として、自由奔放な少年時代を謳歌する。「魚釣り」と「磯遊び」が大好きなガキ大将。1歳違いの姉と6歳違いの弟の3人兄弟。玄海小学校、玄海中学、東海第五高校と高校まで地元で過ごす。
「毎日が縁日のような賑わいやったね。鐘崎、神湊の漁港も活気があったし、次々に団地が造成され宗像中熱気があった」と昭和40年代、多感な10代のころを振り返る。


 20代~30代は・・・

昭和53年、東海大学海洋学部を卒業。在学時はカッター部に所属。同年 ロイヤル(株)入社。昭和58年まで5年間、皿洗いから、ウエイター、店長と、接客業に従事。退社後は家業を継ぎ、(株)魚屋 代表取締役、(有)レストラン魚屋 代表取締役として、弟と2人で、4店舗を切り盛りする。

 40代から現在まで・・

30代半から「地域のために汗をかけ」という父の言葉を胸に地域活動に没頭。玄海小学校PTA会長・まちおこし団体「玄海未来塾」初代代表世話人・市町村合併推進団体「宗像人の会」発起人・アクシス玄海物産館の運営・宗像大社氏子青年会 初代会長・世界遺産登録推進団体「沖ノ島物語実行委員会」実行委員長を歴任。宗像市内外でイベントや魚のブランド化などを計画、運営する。大きな声で陣頭指揮をとり、コツコツと協力していただく女性らにねぎらいの言葉を忘れない。一見大雑把ではあるが気配り人である。


 人となり・・・

時として、一生懸命さのあまり、周囲と衝突することも。「私利私欲なく、こだわりが無い、バイタリティがあることは長所だが、即決しすぎる」との批判の声も。陰口には耳を貸さないが、正面切って悪いところを指摘すると、深く反省する。私利私欲なくこだわりが無いから正論を口にする。相手に取っては痛いところだから反発も招く。損な男である。であるから、誤解もされやすい。「言い訳と弁解がましい説明は大嫌い。熱血宗像男。これが彼の人となりである。




 思いは・・・

「宗像の賑わいをつくろう、といろんな人たちに支えられて地域活動を20年やってきたばってん、難しい。いつも壁が前をさえぎる」と口にするようになった。そして、導き出した答えが「究極の奉仕活動は政治力ではなかろうか・・・・」
「自分は、新しい宗像を造るつなぎ役にな りたい。薮を刈り、道を造り、若い人を育て、バトンを託したい。次代に継承されていく、宗像の礎となるものを多くの宗像人と共に造りたい」と言う。



 趣味は・・・

人前では決して本を開く姿を見せないが、意外と読書好き。好みは歴史小説。
趣味はラグビー観戦、サニックス・ブルースの熱狂的ファンである。

 






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